

ちろるとの出会い
私とちろるには多少の関係があります。多少って何?ということですが、実は物件の大家さんということになります。10数年前にちろるが売却されることを知り、コーヒーを飲みがてら視察に行きました。(まだ営業はされていました。)私は旭川生まれですが、一度もそれまでちろるには行ったことがありませんでした。雰囲気も良かったし、そもそもコーヒーは大好物なので、ノリでと言いますか、深い考えもなく購入してしまいました。さて購入したはいいが、どうしたものかと考えた末に娘婿に任せることに。そうです今の経営者が義理の息子ということです。息子は器用なところがあり、料理なども、もともと好きなので、喫茶店をするなら自家焙煎でということで、札幌に習いに行き開店の運びとなりました。
旭川で1番古い喫茶店
ちろるの創業者は下村さんという方です。購入した当時の下村さんは2代目でした。東京でデザイナーをされていたとお聞きしました。やはり芸術家的感じの人でした。その時の話によるとちろるは先代が違う場所でオープンし数年後に今の場所に移ってきたそうで、それからすでに70年は経っているそうです。かなり建物は傷んでいたので雰囲気を壊さないように、床板も再利用し、建物の補強もしました。椅子も張り替えるだけにとどめ、極力いじらないようにしました。唯、厨房の方は仕事をしやすいように改築しました。特に2階は昔の儘で、昔は市長さんなどが良く会合などをしていたそうです。ほぼ90年経つ建物ですが、今同じ造りのものを立てるとしたら相当の金額になると思われる立派な建築物です。それと三浦綾子さんと下村さんはもともと同じ町内会の知り合いでちろるを三浦綾子さんは利用していたそうです。
ちろると言えば
ちろると言えば三浦綾子の氷点を連想される方もおられるかもしれませんが、実は私はほんのほんの少し、三浦綾子と縁があります。彼女は結核療養所で入院していましたが、私も学生時代に結核を発症し、入院していたのが道北病院、今の旭川医療センター、昔の療養所です。三浦綾子は13年間の闘病生活をされ、この間にキリスト教に目覚め洗礼を受けたそうですが、私は今も使われる、リファンピシン、イソニアジド、ストレプトマイシン、エタンブトールを最初から使い4か月で退院しました。胸部外科の医師が担当医で入院できたのが正解でした。確か奈良先生と言われたような。何分にも50年前のことですから。その当時胸部内科で使うくすりだと、2年程入院が必要でした。しかし病気になると何かに縋りたくなるものですが、私は宮本武蔵の心境でした。神仏を尊びて神仏に頼らず。入院していると様々な宗教の方が優しく近づいてきます。幸いにも壺を買わずに済みましたが、13年も患うと私も敬虔なるクリスチャンということになっていたかもです。

人気のパンケーキ
写真は美味そうではありませんが、とても美味しいパンケーキ。3枚ペロッと行けるのですが、糖尿を監視する我が妻の命により2人で1皿。夏なのでソフトクリームも食したいのですが、勿論論外。こっそり一人で来た時に楽しみは取っておきますか。


是非冬にも来てください。
冬のちろるにもぜひお越しください。冬は薪ストーブの炎がとても寒い旭川に似合います。もともと設置されていたストーブで勿論現役で使用できます。暖かいコーヒーを飲みながら、久しぶりの友達と会話するなんて素敵ではありませんか。一瞬にして昔へと誘ってくれます。

「故郷の訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し」 これは私が敬愛する寺山修司の歌でありますが、ちろるで再開する友と飲むコーヒーは 程よい苦さが癖になる最高のブレンドコーヒーに間違いありません。
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