終活

アルバムの整理

 終活の一環としてアルバムの整理をいたしました。実はそこまで重たい話ではないのですが、またまた私共夫婦は引っ越すことになりました。それも旭川市内を行ったり来たりという感じで最初は東鷹栖に始まり、豊岡、永山、花咲、春光、そして今度はまたまた花咲へと。段々住む広さも狭くなり、今度は1LDKとなります。ですから終活のためというより大量のアルバムを置く場所に苦慮し、アルバム整理をするしか道がなかったのです。ですが、いずれはしなくてはいけない終活の一環でもあるアルバム整理ではあります。昔のアルバムから残しておきたい写真を剝がしたり抜いたりしポケットアルバムに移していきました。枚数にして3分の2ぐらいは潔く捨てました。惜しい気もしましたが思いっ切るしかありません。先祖からの写真もほとんど捨てました。子孫が誰か分からない人の写真まで残されても、私が他界した後、誰が喜ぶんだと思い、私の代で完結せねばと心を鬼にして捨てました。ひょっとしたらご先祖様があの写真だけは遺しておいて欲しかったと思う写真もあったかもしれませんが、ここで私が処分しなければ子孫に重責を負わすことになりかねません。少なくとも先にあの世に行く私の責務であります。厄介なのは私共夫婦の結婚式の時の一冊のアルバムです。なんでこんな立派な分厚いアルバムがあるのか?和装洋装の緊張した二人の写真が芸能人でもあるまいし、かしこまった私共を、誰が見て喜ぶのか?二人とも両親は既に他界しているのに。しかしなんでか捨てられません、とりあえずキープという結末に。ただ小、中、高の卒業アルバムは捨てました。捨てましたというか、捨てることができました。捨てることができて本当の大人にやっとなれたような気がしました。ただ捨てきれないのが1番に孫の写真、2番に子供の写真です。特に孫の写真、その中でも1番最初に生まれた孫の写真です。CTスキャンで撮ったかのような、正面からの写真、斜め10度、20度、30度、はたまた横からの写真、縦からの写真、そこまで違いが分からない表情の変化の写真。そもそも孫が生まれたころにはデジタル化も進みPCにはギッシリ同じデーターが存在するのですから、必要ないとも言えますが捨てづらい写真であります。二人で丸1日がかりで、量にしてと申しますか体積にして30分の1程になりました。人差し指の爪と指の肉がピリピリと傷みました。

1LDK

 いろいろな事情がございまして1LDKに引っ越すことになりました。今住んでいる住宅は昨年の2月に引っ越してきたばかりなのですが、それもとても気に入っていたのですが引っ越すことになりました。今ある家具もほとんど置けませんし洋服などもクローゼットに入りきらないでしょうからアルバムなみに捨てなくてはいけません。また狭い空間をどのように活用するか心配でもあります。が!、楽しみでもあります。色々図面を引いてみてこの幅に今ある箪笥が入るだろうか、食器棚が収まるだろうか。ベットはどこに置けばよいのか。ソファーはおけるのか。などなどまだまだ不安はありますが、やるしかないのです。しかし考えてみるとこれがいわゆる終活ではないだろうか。終の棲家をどこにするか、それがまず終活の第一歩と言えるのではないでしょうか。1LDKが私共夫婦の終の棲家。1LDKに住むことが終活の第一歩。いずれはしなくてはいけない整理を1LDKに住むために整理する。強制的に整理する。非情に整理する。私にとっては大事なものでも妻にとっては意味のないものは妻がいとも簡単に捨て去る。それでよいのです、その方があきらめもつきます。広い住まいでないからこそ、狭い空間の1LDKだからこそ満たせる夫婦の愛情。いづれ1LDKより狭い骨壺に2人は入るのですから。子孫に申しておきます、骨壺2つを置く場所がなけらば、1つの骨壺に2人を入れてください。どうにか今までやってきたのですから、どうにかなると思います。なんて話が変な方向に行ってしまいましたが、1LDK引っ越しまでほぼ1か月、忙しい1か月になりそうです。雪が降る前には引っ越さなくては!

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