趣味を探す
趣味がないから趣味を探す、または探しているという人は沢山いると思う。私も趣味がないからと探し続けていた。しかし考えてみると、趣味らしきものには色々触れてきた。カメラとの出会いであったり、ウエイトトレーニングであったり、結核で入院していた時には本を読み漁り、詩まで書き始め、詩芸術(今はあるのか?)という文芸誌にまで投稿していた。運転免許を取るとドライブにはまり、その結果車にもはまり、何台と、いえ何十台と買い替えた。それでも、その時それが趣味だとは思えず心から趣味だと思えるものはないのかと探し求めた。
趣味って何なんだ
趣味と思える趣味って一体何なんだ?今までやってきたことが満足のいく趣味だったのか?そもそも趣味って満足のいくものなのか?適当に楽しければ趣味ではないのか。趣味が高じてそれが本業になるレベルでないと趣味ではないのか?そもそも趣味が高じて本業になってしまうと、もはやそれは職業だ。仕事が趣味という人がいる、うらやましい反面、気の毒な気もする。息抜きの趣味もないのかと。と言うことは、趣味は息抜きなのか?息抜きでよいのか?息抜きでよいとしたならば、成果を求めなくても良いということか?そうでもない、詩を書いていた時自分なりに良い詩が書けたとき(書けたと思った時。)、満足の頂点に達する。やはり成果を求めている。
趣味って興味?
趣味とは何かなんて、それ人生とは何かみたいな哲学になってしまっている。もっと単純に考えてみた。考えてみたというか、最近気づいた。興味を持ちそれを追求することが、趣味ではないかと。当たり前だろと言われるかもしれないが、私は気付いたのだ。そのきっかけはカメラのフォーカスだ。え?何のことと思われるだろうがそれが実際である。カメラのフォーカスなど適当に分かったような気持ちで設定していたが、AF-SとAF-Cの違いを知り、今更であるが目から鱗である。つまりちっぽけなことから興味を持ち深く知りたいと思ったのだ。今のカメラを使いこなすということは単純に使えばすべてオートで済むが、少し技を使うととてつもなく深い。知ろうとすれば私の頭脳では相当の労力が必要である。しかし興味が沸きその結果の労力であれば実に毎日が充実する。つまり趣味とは興味が沸きそれを追求することだ!
老人だからこそ
老人だからこそ、趣味の追及ができる、現役の人(退職者でない人)が趣味を追求したら間違いなく疲れ果てる。あるいは仕事をおろそかにするしかない。大谷翔平のような二刀流なんて無理である。というかただ世の人が二刀流と言っているだけで、彼は野球しかしていない。キャッチャーをし打席に立てばこれも立派な二刀流とも言える。大谷翔平自体、自分は二刀流ですなんて思っていないのでは?多分ではあるが。横道にそれましたが、老人だからこそ趣味に没頭できることに気付いたのですから、これからはじっくり興味のあるものを探求したいと思います。
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